
先に紹介した造字・新たな漢字
ペンタクラスタキーボード構想に私はこういうのは採り入れない。
一度こういうのを許してしまうと、我も我もともっといいのあるぞ、採用してくれと言ってアイデアの洪水になってしまうからだ。
つまんないといわれるかもしれないが、ただでさえ新概念で忙しいのに、こういった枝葉の議論から距離をとっておかないと
とてもじゃないが現実的な計画を回すことなんてできない。余計なノイズに消耗したくない。
でにをは別口入力とヨモギ社会の構想、ハイパータブレットをハブにした世界多極化戦略、これだけでもうお腹いっぱい。
活動資源を余計なことに使いたくない。
計画を進める意思決定者は、文字の保守的運用側面に明るいベテラン勢に任せる。
老害と言われてもいい。むしろマジョリティは老害だ。いや想定ユーザーも老害だ。全部老害で行く。
それと私の理解を超える分野のエッセンスも徹底的に避ける。
AIだろうがDXだろうがインクルーシブだとか言われても脇目も振らず自分の道を邁進し続ける。
いや、基準こそが自分中心だ。整数論的なコンセンサスはいらない。eやπのような無理数を求める。これは芸術作品だ。
個人の世界観でないとシステムの統合ができない。下手に人に合わせると最大公約数的となってしまって予測範囲内の詰まらない機序になってしまう。政治の圧力には負けない。
嫌ならペンタクラスタキーボード構想にそっぽを向けられてしまっても構わない。むしろ邪魔だからあっちへ行ってくれ。
あんたらは整数論でやってくれ。12や36のように、約数の多い、お行儀のよい数で因数分解しながら互助会をやってくれ。
だけれども有理数と無理数で圧倒的に総数(濃度)が多いのは無理数の方であることは知っておいてくれよな。
障害のある人へのケアは、できるところではやるけれども、ことさら意欲的にやるほどのものではない。
そのためにインターフェース設計や、コミュニケーションの加速化を弱まらせるような要素が出てきそうになったら
迷わず剛の道の方を行く。このデバイスの位置づけは、酒やタバコのように社会基盤からみたらけっして必需の物とは言えないいわば「嗜好品」のような位置づけだ。
文字表現や情報経路への高い美意識というものがあって、それはマスから観たら過剰仕様のようなそしりを受けるかもしれないものでも、必要とあらば実装し、初見殺しの排他的コミュニティをもってしてもその崇高な理念を堅持し守り抜いていく。
ハンディキャップを持つ情報の発信者としては同じスタートラインに立てない悔しさはあるかもしれないが、情報の閲覧、読み上げ、ルビのポップアップ、検索便宜など、すでに築かれた言語資源へのアクセスは、別のユーティリティアプリを立てるなどして代替的にこれを利用できるように環境を整えていく。
それと外国勢力からの過度な干渉も断固として受け入れない。
ペンタクラスタキーボードのようなドメスティックキーボードは、世界の多極化を体現している。
グローバルで統一的な規格で世界を縛るのではなく、各国が各国でその国に合った独自のデバイス、通信ネットワークを自前で構築していけばいい。互換性なども無理に合わせなくてもいい。やりたきゃやればいいしリージョンとかも柔軟に調整していけばいいしあとは国内法規とか情報安全保障とか商圏施政権の独立性を護るために存分にアーキテクトしていけばいい。
要は適切な粒度で、適切なグラデーションで、適切な国民国家形成に資するような形でやっていけばいいのだ。
多極化を推進するということは、それぞれの国家・地域の独立性を尊重するということだ。
日本国内には「やさしい日本語」というのがあるが、ペンタクラスタキーボード陣営では印刷媒体化させずにデバイス上での閲覧だけに的を絞ったインターフェースを志向しているので、デバイス内で自己完結するようなUIの見せ方、注釈解説の随時読み上げ、翻訳ソフトとの連携がしやすいUIの模索をはじめ、ルビ部分はレイアウト配置ではなくタッチによるポップアップで対応するので国内外国人に「やさしい日本語」とはまた違った別の形でのユーザビリティで代替的に用を足せれば良いというオルタナティブを目指す。
そこのところもあくまでも「嗜好品」という枠は崩さない構えでの線引きをしていく。
メタバース勢とかNFT勢とかITベンチャーだとかが鼻息荒くペンタクラスタキーボードうちでやらせてください、とか秋波とかアプローチが来るかもしれないがこういうのは歯牙にもかけない。
大体カネへの執着がみえみえで欲望への脂汗がテカっていて見苦しい。
交渉相手は大手の名の知れた企業からのオファーしか繋がない。
大体無名企業を間に嚙ませると最初広告廃絶呑みます、教育ユースも蹴ります、とか言っておいて、後からあっさりとそれを反故にして挙句の果てには「いや説得するの苦労したんですよ」とか恩着せがましく理念を曲げてくるのが目に見えているので、最初から最高権力者・最高意思決定者にダイレクトにつながるルートからでないと八百長茶番も含めて信用できないので仲介者に任せるという愚策は最初から頭の中にない。
ここでまた冒頭で紹介した造字・新たな漢字の話題に戻るが
なぜ重箱の隅をつついたような問題に着目しがちなのか、それは種粒的だからである。
種粒的なものは所有・発見を主張しやすくワンパッケージなので成果を可視化に繋げやすい。
今の人は細々とライブ配信を乱発したりしている人を見たりするとワンパッケージの生産手段が多弾化するだけで
たしかに自分の所有権というのはあるのかもしれないが境界横断的自他浸食のアグレッシブな職域というのが軽視されてきていて
戦略の立体的広がりというのが感じられない、階級上昇の困難な世界になってきているのは少なからず感じている。
痛し痒しで種粒的なものにすがりたくなる気持ちというのもわからなくはないのだが
しかしそれよりも大事なのは抽象的横断的であっても、その後の思考展開・設計展開に影響を与える包括的な概念の方がむしろ重要だ。
たとえそれが成果を属人化するのに向かないタチのものであっても、だ。
なのですべての出発点は功名心から来ているのでこういう類のものはあとでアイデア言った言わない揉めるのも嫌だし軒を貸したら母屋がとられる、みたいになるのも嫌なので私にアイデアを送りつけたり読ませようとするのはやめてほしい。
やはり抽象的で包括的で、格物致知のパワーゲームがわかっている卓見、それは所有に繋がりにくいものなのかもしれないけれどそういった根源的なものを大事に評価していきたいと思う。
「伽藍とバザール」の集合知が一時期流行ったが、ペンタクラスタキーボードの設計者の私としては集合知よりも個人のインテグリティを高度に積み上げたビジョンのほうが
より文化的技術的横断的で水平思考をすり合わせて結実できる「特異点」としての価値が高いと思う。
これは現代のネット情報化社会で技術情報や学術情報のアウトライン獲得やAI対話での細部のブラッシュアップなどを通じて個人でもより巨視的な営みを為すことができる環境整備がようやく整ってきた趨勢であるからだ。
今のコモンセンスでは整数的公約数的な積み上げには向いているかもしれないが、無料カルチャーのエコシステムにもほころびが出始めてきているし集合知の限界や得意分野・不得意分野のコントラストもようやく見えてきたところだ。
タイミングとしては「伽藍とバザール」よりも「誰か知らない馬の骨」の復権するフェーズに来ていると思う。
ここで蒸し返すようだが私が障害者ケアや持ち込みアイデアの受け入れ姿勢にあまり積極的でない、あるいはグローバルスタンダードに無鉄砲に歯向かっている
・・・こういうことに気が食わない人はどうぞペンタクラスタキーボードから離れてカウンター陣営を作ってこれよりももっといいものを作っていってください。
私は虚勢ではなく善意で言っている。
もし色気を出してあのリクエストもやります、このリクエストもやります、ってなんでもいい顔をしていたら、かえって失望させる結果を招くからです。
後々まで引っ張って突然ちゃぶ台返しをするより、早い段階できちんと断っておけば
サンクコスト効果/後に引けない期待感投資無駄にしたくない
の泥沼にはまることがないように道をガイドすることができます。
ペンタクラスタキーボードはキャベツやジャガイモのような万能野菜ではありません。
ミョウガやジュンサイのような使いどころの限られる、「クセつよ」な野菜です。
用法・用量をよく守って服用してください。
それをご了承の上で、ご指名・ご注文いただけるとありがたいです。