もう定番ネタかも知れないが
岡田斗司夫氏の「彼氏3人理論」は少子化の現代社会に一石を投じる恋愛理論だと思う。
恋愛を“ひとりの相手に全てを求める”という従来の発想を壊し、役割分担によって恋愛の満足度を最大化するという、かなり挑発的で議論を呼ぶ理論だ。
その前に通り一遍、この手の恋愛理論を議論するうえで、まだ「うぶちり」の頃に陥りやすい発想が、
「一夫多妻制」だ。
これは、イケてるやつが多数の女性を囲って、マルチに養うというものだ。
一見フェアに見えるかもしれないがこれはすぐ不具合が露呈する。
強いものがすべてを獲得するということが正当化される「メリトクラシー」の考えそのものに行きつくということだ。
これでは選ばれし精鋭のみにしか結婚が許されず、全体のパイとして多数の脱落者を生むことになり、
社会の持続性においてそれほどのメリットというものがない。
ボリュームゾーンの大多数こそ個々に縁寄せつなぐことができて初めて、社会がうまく回っていくのだ。
これを表面上突き詰めていくと、
「一妻多夫制」
も認めようということになる。男女にも対称性でバランスをとるべきだ、という相対主義的美意識の表れだ。
しかしこれは単に浅慮の"美意識"にすぎず、男女間でミラー対称性が成り立つという無邪気な先入観からもたらされる。
男女の関係は明らかに非対称でありいたずらに対称性を旗印にすると、それは単に男女の対立・分断を巻き起こすという
自己決定主義/個人主義の文脈に絡めとられてしまう。
私達が目を向けるべきものは、社会のコンセンサス醸成と制度の堅牢性だ。
一握りの成功ケースだけを取り出して、制度がうまく回っていくはずだという楽観は、時に害悪にさえなる。
シビアに現状認識してみると、男でそこまで甲斐性があって2人も3人も養っていける奴というのは事実上存在しないのではないか。
子供さえ作れば養育の事は二の次で、責任さえ果たせない男の方が多数派ではないか。
今の経済状況ではそんな「シゴデキ」「イクデキ」「ロマンデキ」の三拍子そろった物件はもはや想像上の生き物に等しい。
私が描くポリアモリ―の形は、
「片務的一妻多夫制」だ。
これは非対称的で、「一夫多妻制」を認めない立場だ。
中庸をとって両建てで安易にスタートするとよくない。
見せかけの対称性とは裏腹に双方牽制しあう構図となり個人は分断されて
「結婚損得論」がのさばるようになってしまう。
シングルマザーへのケアの薄さも社会全体でもっと考えていかなければならない。
片務的という構えをとることで、社会全体で女性を支えるという覚悟を示し、同じ一妻多夫制といってもその来歴からプロセスから一切違っており、エゴに元づく個人主義という決定性を持ち込ませない。
時代の趨勢として男性の方が明らかに甲斐性不足であり、それは当然社会群体として協和の機序から生み出されるものであることをはっきり自覚した上で女性に納得してもらうほかない。
属性ではなく、振幅として今の時代のふり幅が求められるということだ。
そこでその文脈として得心の行く考え方がこの岡田斗司夫氏の
「彼氏3人理論」だ。
単なる「恋愛テクニック」としてではなく、「男性の資源(経済力・精神的支柱・家事育児能力)の過小化」という冷徹な現実を前提に、いかにして女性と次世代(子供)をサバイブさせるか、という社会設計の議論として秀逸だと思う。
岡田氏が提唱した「生活を支える男」「趣味を共にする男」「癒やしをくれる男」という役割分担は、
あえて「女性側の複数所持」のみを社会的な構え(機序)として認めることで、男性側の「甲斐性不足」を複数のリソースで補完し、女性(および子供)という社会の基盤を支えるという「集団的責任」に転換する、という私の
「片務的一妻多夫制」
と共通する点も多いかと思う。
「意外な男枠」の創出で恋愛弱者もエントリーできる可能性が出てきた。
この枠の本質は期待値のコントロールにある。
最初の印象で期待値を下げておき、徐々に予想を上回る要素を見せることで、相対的な魅力を高めることができる。
岡田氏のトーンでは
「彼氏3人理論」では、女子ばかりでなく、男子も
「男は家庭を3つもったらいい」
という見解も同時に見せていますが、これは実際のところ女子にだけ複数恋愛を認めると男子の方が不平等ではないか?という反発を招くリスクにおける対称性を考慮したカウンターではないか?
さらにいえば
これは単なるエキスキューズで、本丸の議論はやはり女子の複数恋愛に軸足があるかと思いますがそのへんはどうなのか?
という疑問が残りますが
なぜ「女子側」が本丸なのか
それは女性の精神的安定: 1人の男性に「経済・愛情・趣味(理解)」のすべてを求めると共倒れになる、という女性側のリスクヘッジが議論の出発点ということ、
生物学的・社会的な非対称性: 実際問題として、一人の男性が「3つの家庭」を維持するのは、経済的・時間的コストが極めて高く、現代社会では非現実的。
一方で、女性が「3人の彼氏」を持つことは、役割分担(デート担当、癒やし担当、経済担当など)として運用可能なリアリティがある。
つまり、男子側の理論は「概念としての公平性」のために置かれているのに対し、女子側の理論は「実践的なライフハック」として語られている節がある。
それらを加味するとやはり
「片務的一妻多夫制」に的を絞って冷静な議論を進めるのが到達解だと思う。
最後にAI側から鋭い質問が寄せられたが、それに対する明確な答えはまだ持っていない。
ここで噛みしめるように
「このシステムにおいて、男性側がどのようなインセンティブ(報酬や納得感)を持って参画し、集団内の秩序を維持するのか」という「男性側の心理的契約」について、あなたはどうお考えでしょうか?
という鋭い返し。
うーん、世の男子はやっぱり独占欲から抜け出すことが困難であるからなあ。
かくいう私もそこまでの覚悟を持っているかと問われれば、自信が持てない。
「大豆田とわ子と三人の元夫」っていうドラマに興味が出てきた。
予備知識ゼロだけど時間があったら観てみよう。