P突堤3

「でにをは」別口入力・三属性の変換による日本語入力 - ペンタクラスタキーボードのコンセプト解説

北海道チーズ蒸しパンやスバル360に匹敵する日用品の名作プロダクトデザイン



「デザインとか、しなくていいです。無印良品みたいなのでお願いします」
「いいか!!無印良品はなあ 計算しつくされたデザインの極みなんだよ」
もはや伝説的ともいわれる、ネットの海に漂っていたデザインの美学に関する哲学的な問答…。

この返しで知られるような無印良品の卓越性と、世間の誤解を語ってください。
という質問をしてみましたが、そこからかいつまんで
世間の誤解と「デザインしない」神話について語ってみます。

多くの人が「無印っぽくして」「デザインしなくていい」と言う時、実は"派手な装飾を避けたい"という意味で使っています。
しかしそれでは本質を取り違えてしまっています。
無印良品が目指しているのは、「目立たないデザイン」ではなく、「思考を尽くした透明なデザイン」。
つまり、デザインの存在を意識させないほど完成度が高いからこそ、"デザインしていないみたいに見える"のです。
これは、茶道や日本建築が持つ「引き算の美」と同系統の文化的洗練でもあります

「いいか!!無印良品はなあ…」という返しの核心
このセリフが刺さるのは、デザインという行為の本来の意味を突いているからです。
デザインとは「かたちをつくること」ではなく、「人と環境をどう関係づけるか」を考えること。
無印良品はその点で、単なる商品ではなく、"暮らしの思想をかたちにしたデザインの体系"といえます。
だからこそ、「デザインしなくていい」は、実のところ最も誤った理解。
無印良品は、「デザインの極限」そのものです。

・・・とここまで小気味良く褒め倒しましたがここから一気に辛口に転じてみます。


無印良品のデザインと「貧困性」批判
無印良品の商品は「シンプル」かつ「匿名性」を強調することで、従来の華美な装飾やブランドへの依存から解放されるように見えますが、「協力業者の製品からパッケージや名前を剥奪した上で売る」との批判は、本来的な多様性やアイデンティティの喪失につながると指摘されます。
無印良品の画一性に対する懐疑であるとかグローバリズムの世界の無個性化・均一化とリンクするような状況に対して
無印良品の「無印=良品」という理念には、消費者が選択する自由や価値観の変容という側面がありますが、同時に「個性消去の均一化」によって社会全体の固有性や倫理基盤が揺らぐ危惧が含まれており、グローバル経済の潮流の中で、その画一性は文化・社会の貧困化と搾取構造に加担しうる――という厳しい批判は無視できません。​

やれやれ、「ソイレント・グリーン」のディストピア飯や「攻殻機動隊」のセクター型居住区なんかが、無印良品の最終到達点になってしまうのでしょうか?
なんだか最近では在りし日の群雄割拠なのかいずれアヤメかカキツバタってな具合の個性豊かなハイブランドたちも今は昔、
すっかり画一化されてしまって軒並みつまらないロゴにデザイン変更する例とかも散見されるようです。
興味深い記事なので、よそ様の記事ですがリンク貼っておきます。

どんどん個性が無くなり、ゴシック体化する有名ブランドのロゴと、その理由|metamorphose 森川あや


さて日本には昔からずっと変わらない長寿商品があり
その時々でマイナーチェンジしながらも長く人に愛される昭和・平成の日用品の名作、定番品
というのが優れたプロダクト・デザインを必ず伴って展開されている・・・という事実があります。
商品の味や性能機能だけではなくてそれに見合うようなパッケージデザイン・容器デザインがなされている。
まるではるか以前から世に生み出でていたのか、それでいて一目で品質がわかってしまうという早計があながち嘘でもなさそうなその奇妙な符合。
名は体を表すといいますが
「ガワは品質を表す」とでも申しましょうか
今回は日本や海外の名プロダクトデザインについてYahoo!リアルタイム検索アプリでリサーチしていきたいと思います。

題して
「北海道チーズ蒸しパンやスバル360に匹敵する日用品の名作プロダクトデザイン」
です。

ひさびさのリアルタイムアプリネタですが、充電してシンプル発想で再出発していきたいと思います。(タイトルは長いですが…)
毎回、前回のハードルを越えられるか不安に駆り立てられていて、昔の俺よ、かしこさのたねをあと3個食べるんだぞ、と皿を洗っているときに過去の自分に向けて時空を超えたメッセージを送っています。
・・・そんなわけで今回の調査項目はこちら↓↓↓




はてなに引っ越した関係で、ご新規ユーザーさんも多いでしょうから
ここであらためて
「Yahoo!リアルタイム検索アプリで調査」カテゴリについて説明すると
このカテゴリは気になったテーマについてYahoo!リアルタイム検索アプリを活用して10個の項目をスター登録して同時にスタートし、
一定期間を経てつぶやきカウントを集計して話題の程度や注目度の比較をしていこうという趣旨のP突堤3のオリジナル企画シリーズです。

カテゴリリンク貼り付けておきます
Yahoo!リアルタイム検索アプリで調査 カテゴリーの記事一覧 - P突堤3

p-tottei3.hatenablog.jp



今回はいろいろなプロダクトがあったのですけれど諸事情で個別の画像提供はありません。
字面だけでお楽しみください。

そして気になる集計結果はコチラ↓↓↓




【日用品の名作プロダクトデザイン】
調査期間:2025年9月3日-10月14日(42日間)
1.キッコーマン デザイン   23
2.おいしい牛乳 デザイン   10
3.缶ピース          179
4.iMac デザイン       129
5.京都レモネード デザイン  1
6.Suica デザイン        404
7.資生堂 TSUBAKI      28
8.ニベア デザイン      87
9.スーパーカブ デザイン   37
10.マッキー デザイン     51

10のワードは私が独断で選んだものでほかにももっと着目すべき製品があったかもしれませんが取れ高のボリュームやそのときの興味などを勘案しだいぶ傾斜したチョイスになっていることをご容赦ください。
項目の「キッコーマン デザイン」はあのおなじみのスリムな醤油小瓶を想定してワードを拾っています。ただそれだと取れ高が頼りないのでよりラフな解像度のレンジ設定となっております。
TSUBAKIは「資生堂 TSUBAKI」などの日用品を扱うパーソナルケア事業を投資ファンドのCVCに2021年譲渡という報を聞いて驚きました。ようこそ日本へ♪(CMソング)とは何だったのか?
あと「Suica デザイン」の数値が妙に高かったのは、何かのキャンペーンかなにかで商業的なプロモーションによる散発的なコピペ爆撃が少なからずみられたことによる影響があった関係が偶然に重なったようです。
・・・などなど周辺情報も騒がしいところでありますが何とかカタチにまとまってひとまずはホッと安堵しております。

さてここへきて
美術品と日用品は別のもの?じゃあデザインは必要なの?
っていう根底を覆してしまいそうな素朴な疑問が湧いてきたのですけれど
ここでは答えを出せそうにもないので見通しをつけるために商品カテゴリーの分類法でポピュラーとされている
最寄品、買回品、専門品、非探索品 についてほんのさわりだけ触れておきますが


要するに、
「最寄品=近場でサッと」「買回品=じっくり比較」「専門品=こだわって探す」「非探索品=思い出して買う」もの。
だそうです。φ(.. ) メモメモ
スーパーカブや北海道チーズ蒸しパンが果たしてどのカテゴリに分類されるのか、
そしてそれらのプロダクトのデザインの必要性についてどう掘り下げていけばいいのか、
まったくわからない状況ではありますが少なくとも言えることは

「ここで採り上げた10の日用品プロダクトは、バンクシーの落書きのように商業主義や裸の王様的・価値の転倒によって評価されたものでは決してなくて、
その商品自体の実力、品質、性能、信頼性で公平にジャッジされて今の地位を築いてきた紛れもない逸品である」
ということです。

日用品プロダクトにはこのような下駄を履かせるややこしい軸はないほうがいいかもしれません。
でも私達もそう悠長に構えてもいられないかもしれません。危険なサインも差し迫っています。
ヒカキンにカップ麺をプロデュースさせる「みそきん」などのインフルエンサーマーケティングもほんのかけらに過ぎず、
実は業界各社もこれから推していこうというプロモーション手法の次の本命になると囁かれていますし、
かつて(35年前)は心躍る言葉であった「コラボレーション」という言葉。
深夜のJ-WAVEラジオ「Across The View」でまだキレキレだった頃のモーリー・ロバートソン氏が
「画期的な異業種の出会い・協業はセンセーショナル!」「ネット黎明期ですらなかった頃の本当に前衛的なフロントランナーがいち早く採り上げた言葉」
で劇的なインパクトがあったのが、今は見るも無残に安っぽい言葉となり、なんだかダサダサな
「ネームバリューにすがりつくハイブランド同士の互助会」
に成り下がってしまいました。

アートの文脈には
庶民の隅々まで大衆文化の行き渡った江戸時代の日本と比べて
フランスのように王侯貴族が革命で引きずりおろされて、限られた者だけが鑑賞・所有できる特権だったゲイジュツというものが、没落した貴族に代わり一般市民が鑑賞できるものになって美術館というものがあの時代に発明されるものになった・・・という経緯があるのですが、
ところがイザ市民が芸術に触れてみるといっても立派な絵画であったりとか美術品を見せられても教養がないし庶民には寓話とか技巧背景とか何のことか分からなかったんですよ、そこで「解説役」が必要になったんですね。・・・専門の役職が出てくる。
こうやって絵画というものに説明というプロセスがセットになったと。
そうやってこの時代くらいから絵画っていうのは見ただけで美しさや技術の高さがわかる工芸品ではなくなってきてですね、
何がすごいのかというのを論理的に説明する必要がある、そうじゃないと価値がわからないという芸術品に徐々に変わっていくんです。
ここにこうやってややこしいのを説明していかないと成立しない、っていう土壌ができてきた、っていうのが現代のアートの流れなんですね。

ちょっと唐突にアートの話を割り込ませてきましたが、今回のテーマの日用品のデザインの展開の在り方にも示唆を与えるサブトピックになるかな、と。
デザインという言葉が嫌いっていう方を一定数お見かけするので。
でも私はインターフェースという言葉や日本語入力/アフォーダンスという言葉が嫌いになる気配は一向にない。
ペンタクラスタキーボードのデザインも含めてこれだってバリバリ日用品の範疇ど真ん中でしょう。
もし完成したら、どこか名のある神社・仏閣に奉納したい。
新嘗祭が近づくこの季節にちょっと掘り下げて考えてみたいなと思いました。

新嘗賛歌:

手を合わせよう、田に、種に、火に、器に
すべてがまわり、よみがえる
人の労と自然の恵みが
供物として互いに息づく、この季節に

今日も飯を炊き、食を分かち、働きを続ける
それは派手な夢ではなく、
確かな現実のあたたかさ
日用品も稲穂も、いのちの証し

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やっぱり、日用品とはこうありたいものです。
無印良品で、秋冬物のフリースを買いました。

お口直しに、今回入りきらなかった昭和の名プロダクトを貼り付けておきます。
【日用品の名作デザイン】



(宝石箱アイス)






(チームデミ)






(タンポポマット)