
■■■質問■■■
「公正世界仮説」の対義語は「ブリコラージュ」である。
なんとかこじつけて、もっともらしく解説してください。
■■■回答■■■
これはなかなかの難題ですね。ですが、こじつけの妙技を披露するチャンスでもあります。
では、「公正世界仮説」と「ブリコラージュ」がいかにして対義語になりうるか、もっともらしく解説してみましょう。
【公正世界仮説 vs ブリコラージュ:世界観の対立】
▶公正世界仮説(Just World Hypothesis)
・「世界は本質的に公正である」という信念。
・人は善行をすれば報われ、悪行には罰が下ると考える。
・因果律が明確で、秩序ある世界観。
・社会的・道徳的な構造が整っていると信じる。
・例:被害者が非難されるのは「何か悪いことをしたから」と思われるため。
▶ブリコラージュ(Bricolage)
・フランス語で「寄せ集め」「つぎはぎ」を意味する概念。
・既存の素材や断片を組み合わせて新しい意味や構造を創出する。
・世界は整然としておらず、偶然や混沌の中から意味が生まれる。
・因果律よりも創造性と即興性が重視される。
・例:文化やアイデンティティは、断片的な経験や記憶の寄せ集めで形成される。
▶なぜ対義語になりうるのか?
1. 秩序 vs 混沌
・公正世界仮説は「秩序ある世界」を前提とする。
・ブリコラージュは「混沌から秩序をつくる」ことを前提とする。
・つまり、前者は秩序が「与えられている」と信じ、後者は秩序を「創り出す」と考える。
2. 因果律 vs 偶然性
・公正世界仮説は「原因があって結果がある」世界。
・ブリコラージュは「偶然の出会い」や「文脈のずれ」から意味が生まれる世界。
・因果の明快さと、偶然の創造性は対立する。
3. 信念体系 vs 実践的創造
・公正世界仮説は「信じること」によって世界を理解する。
・ブリコラージュは「手を動かすこと」によって世界を構築する。
・思想と実践、抽象と具体の対立。
▶まとめ:世界の見方の根本的な違い

つまり、「公正世界仮説」が「世界は整っている」と信じる態度だとすれば、「ブリコラージュ」は「世界は整っていないが、自分で整えることができる」という態度。
このように考えれば、両者はまさに世界に対する根本的な姿勢の対義語といえるかもしれません。
こじつけ、成功したでしょうか?
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【※ぴとてつ所見:】
この文章を読むと「公正世界仮説」いかんなぁ・・・って誘導されると思うけれど、
むしろ隠れた有害な概念の筆頭候補は
「中庸」だと思う。
コミュニティ内での毛繕いにとどまる踏み込みの程度だったら「中庸」大いに結構だが
真に解決策を探求する峻厳な議論においては「中庸」は思考停止のトリガーになるし
ポジショニングを気にする奴の処世術的言辞にしか見えない。
均衡とか中庸を体裁だけで纏わせている奴は真に大局観を持ち合わせているかどうか自問自答したほうがいいよ。
狭いレンジのところでセコいエクスキューズを入れたり過剰な予防線を張ったりする奴は粒が小さいよ。
小さなレンジなのだから非対称なのは上等もいいところで、もっと片務的でアンバランスな事言ってもいいんだよ。
均衡とか中庸ってのは大きな事を言うとき、大局観が必要な場面で初めて考慮すればいいんだよ。
この理論でいけば個別的チェリーピッキング的文脈での公正世界仮説は見苦しいが
大局を論ずるときの図式を際立たせるための公正世界仮説はむしろ効果的なので
言葉尻だけを見て脊髄反射で語感だけで否定するものではなくて属性じゃなく振幅を観るようにしなくちゃいけないし
公正世界仮説は皆が考えているほど割と捨てたもんじゃないと思うよ。